上達のゆくえ

 

 

 

      平成三十一年の一月号より連載を始めて、今回で終了することとなった。川柳教室の教材として執

      筆した原稿なので、皆さんの参考となったかとなると心もとない。平成28年1月号から29年12月号ま

      で「一句への道」と題して連載した原稿の続編である。

 

      さて、川柳の上達法なんてあるのだろうか。一般的には、多読、多作、多捨と言われているが、僕も

      そうだと思っている。要するに作るしかないのである。数多くの作品を作って、入選句との違いを学

      んでいく。そして、少しずつ感性に磨きをかけて、自分の句を作り続けるのである。

 

     一歩ずつ階段を上がりながら、語彙を蓄積し、川柳眼を養い、自己満足をし、辛酸をなめて、いかに

     続けるかである。そのためには、川柳を好きにならなければならない。何事も好きでなければ続きは

     しない。僕も五十年も続けているのは、川柳によって人生史を遺せるからだと思っている。今までに

     どれだけの佳作を残してきたのか、となると忸怩たるものがある。

 

     句会や大会等で表彰されたい、とは誰もが抱く願望であり夢である。そのために詩嚢を絞って一句

     を生み、一喜一憂するのである。その努力が蓄積されて、芽が出てひと時の花が咲く日がくるので

     ある。それでいい、自分のために時間を使い、心の糧を増やしているのだから。そして仲間が生ま

     れ、人生の生きがいとなり、長寿社会を生き抜く力となるのだから。

 

    「川柳とは、万物を映す心の鏡である」と僕は思っている。自己の心の鏡をいかに磨き続けられるか、

     これこそが川柳の上達法だと思っている。心の底から吐き出される一句に、巧拙などはない。但し、

     表現手法には稚拙さが生まれる。その稚拙さを克服するために学び続けるのである。

 

     自己の想いを詠うのであるから、課題に慣れすぎてはいけない。雑詠を大切にすべきである。日々

     の心の襞を詠う。日常の万物を詠う。それが私の川柳であり、心の日記なのであるから。

 

     僕の原稿は、上達へのアドバイスであって、経験を基にした技法の解説である。未だに没句を作っ

     ているのだから、上達への途上だと自笑している。死ぬまで川柳の階段を上り、やっぱり此の程度

     だったのか、と辞世の句も残せずに終わるのかもしれない。

 

 

 

     【川柳上達への参考資料】

 

         「川柳作句教室」  尾藤三柳著 雄山閣

 

         「川柳入門・はじめのはじめのまたはじめ」  斎藤大雄著 葉文館出版

 

         「川柳の理論と実践」 新家完司著 新葉館出版

 

         「川柳の文法力」 江畑哲男著   新葉館出版

 

 

 

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