川柳大心ホームページ「言霊」より年度別に掲載します。→2015年度

 

「一句の供養」2015年12月

 

 さて、今年もどれだけの没句を生み出したであろうか。確認したであろうか。没句の有効活用をしたであろうか。作句ノートに眠らせたままではないだろうか。
 だろうかが続いたのだが、初心時代は、多読・多作・多捨が必要だと言われる。多作によって生み出された作品は、相当数が没句の憂き目をみる。その没句をいかに推敲して、日の目を当てらせるか、が大切となる。一句はわが子、であるから、育て上げる努力が必要なのである。
 多捨とは、多作した作品の中から自選して、いかに選句眼を研きあげて、捨てることができるようになるかなのである。捨てるためには、推敲の技術と連動させる必要がある。そこが上達への階段となる。
 没句の供養とは、来年に向かって生かすことである。是非とも没句に光を当てて欲しい。正月の休み期間に、没句と対話して、推敲して欲しい。必ず没句は生かされ、育まれていく。新しい年に向かって。

 

 

「季節感」2015年11月

 

 四季感の中で生かされていますので、常に時の移ろいを意識しない訳にはいきません。いかに人間を詠うかが川柳の主題であっても、やはり自然との共生で日々が過ぎ去って行きますので、事象とは違った視点で自然を切り取ることが大切になります。
 一句の中にいかに自然を取り込むかは、俳句にも似た感性が求められます。といっても、あくまでも主題は人間なのですから、背景や点景として十七音の中で生かすかが大切になります。
 「紅葉を命ひとつが追い駆けて」「枯れ葉いちまい年輪の物語」「初雪に想いのかけら少年期」などと、人生の舞台を飾る言葉として、活用することが必要となります。自然と人間との物語を、人間を主人公としていかに描出するかが、川柳にとっての楽しみのひとつとなります。
 自然、などと大上段には構えずに、人間の描出への彩りとして、季節感を大切にしたいと考えています

 

 

 「上達」2015年10月

 

    誰しもが、何事においても上達を願うのは当たり前だと思っています。
 でも、上達とは境界線が見えませんので、誰が判断をするのでしょうか。
 川柳を始めたことによって、句が上達していると感じることが、果たして実感できるのでしょうか。自分で認める、選者が認める、どちらもなかなか難しいことです。でも、自分で上達していることを少しずつでも認めていかなければ、長く続けることはできないと思っています。
 それは自己満足の世界なのかも知れませんが、一年より二年、五年より十年と階段を上ることによって、視界が広がっていくことを体験できるからで す。上達とは、自己満足を積み重ねることだと思っています。ただし、満足を支えるためには、学び作り悩むことが重要なのです。そのことを怠ってしうから、見えない壁を作り上げてしまうのです。
 さらには、選者に作品の評価をしてもらえるか否かです。句会や大会で賞に入ることは、認められることです。でもそれだけではなく、雑詠(自由吟)欄に投句することによって刺激を受け、自己の川柳観を磨いていくことが大切だと考えています。いかに自分の心を一句に托せるようになるか、その想いの深さにこそ、上達の道があるのだと思います。自分の句を生み出すことに自信を持って、一歩ずつ歩むことが上達への一条の光となるのです。 

 

 

「柳多留250年」2015年9月

 

    8月22日(土)に、東京の上野池之端東天紅で「柳多留250年記念式典句会」が開催されました。
 「誹風柳多留」は、明和2年7月(1765)に初篇が刊行されました。初代川柳評の人気が高まっていましたので、前句附のすりもの(暦摺) をさがし出し、1句で句意の判りやすい作品を選んで1冊としたのが、文芸としての川柳成立に重要な要素となりました。
 編者は呉陵軒可有(あるべし)で、書肆(版元)は星雲堂こと花屋久治郎なのです。可有の文芸観によって刊行が続けられ、初代川柳時代は 24編までで、以後も刊行が続けられ天保中に167編まで編まれました。
 現在私たちが川柳を知り学ぶことができるのは、柳多留が残されたお陰であって、感謝しなければなりません。23日(日)には、柳多留250 年川柳史跡ツアーが行なわれ、30数名が参加して、約3時間をかけて尾藤一泉さんの案内・解説により徒歩で回りました。
 上野公園の入口に、誹風柳多留発祥の地記念碑が8月20日に建立されました。川柳を象徴する柳多留と金のアヒルのオブジェで、樽には、 可有(木綿)の句「羽根の有るいひわけ程はあひるとぶ} 木綿 が記されています。是非とも皆さんに見ていただきたいと思います。

 

 

「描出」2015年8月

 

 川柳は、情景を描出することだと思っています。情景とは、情けであり、心の景色なのです。心の景色・想いをいかに描き出すかが、川柳の深奥なのだと考えています。俳句は、場景を描写することだと思っています。あくまでも場の景色であり、その景色をいかに写し取ることだと思っています。しかし、現在の俳句は人間を詠うように変化していますので、断定はできませんが。
 人間の喜怒哀楽を詠え、といわれますが、これほど難しいものはないと思っています。だからこそ、川柳の真髄を掴むことは至難なのでしょう。その至難さの中で苦吟を続けるのですから、どっぷりと川柳の底なし沼に嵌らざるをえなくなるのです。
 いくら考えても底なしの沼ですから、結局は自分を詠う、自分を晒す、自分を吐き出す、しかないのだと考えています。自分の日常をいかに描出し続けられるか、が大切なのだと実感させられています。

 

 

「ひらがな」2015年7月

 

 6月22日には美園児童会館で、25日は新発寒児童会館で、40数名の子供たちに川柳の話をしてきました。お爺ちゃんに なって孫たちと楽しく語り、川柳を作ってもらいました。
 キラキラの瞳を前にしての話ですから、いかにひらがなで伝えるかですから、勉強をさせられました。そして、心の汚れを実 感させられました。
 僅かの時間で、中7川柳と、お題「夏」で作ってもらったのですが、素直な心と、感性の素晴らしさに、びっくりさせられました。
大人は漢字で表現しますが、子供たちはひらがなで簡単に想いを表わします。漢字を知っているがゆえの表現の固さを反省させられ、ひらがなの有効な活用を再認識しました。
 作品は、川柳さっぽろ誌の8月号に掲載しますので、楽しみにしてほしいと思っています。年齢と心の汚れと、川柳の奥の深さ を教えられた貴重な時間となりました。

 


「四季感」2015年6月

 

 川柳は人間を詠い、俳句は自然を詠う、といわれていますが、人間と自然は切っても切れない結び付きなので、そうは簡単にはいかないのだと思っています。ましてや、北海道のように四季感が明瞭な土地で生かされていますと、密接さを実感せずにはいられません。
 自然を背景にして生活をしているのですから、一句を生み出す時に常に意識せざるをえません。自然と事象との中を通して、いかに人間を投影できるかが川柳の醍醐味ですから、その表現の方法が問題となってくるのです。
 「新緑の森で小鳥と風の音」「新緑の森で命の音を抱く」の句を対比した時に、どちらが川柳となるでしょうか。命の音を抱く、と表現することによって、そこに立っている人間の姿が鮮明に浮かんではこないでしょうか。場景の描写と情景の描出との違いが生まれ、そこに微妙な自然か人間かの関係が構築されるのです。
 自然諷詠の中に喜怒哀楽をいかに描出させられるかが、川柳の真髄となってくるのだと思います。微妙な淡いを楽しみたいと考えています。

 

 

「奥行き」2015年5月

 

 川柳は、本当に奥の深いものだと思っています。だからこそ止められなくて、どっぷりと浸かっているのだと笑っています。
 わずか17音の世界なのに、不可思議だと思っています。それは、日本語の持っている表現の多様性と、組み合わせの妙味ではないでしょうか。いかに言葉に心の想いを託して、自身の分身として世に送り出し続けられるか、が求められます。句材は何処にでもありますが、句材とさせるための視点が重要なのです。好奇心を持って川柳眼を研くことが大切なのです。
 あらゆる事象は呼びかけていますので、その事象を凝視することが一句に結びつきます。社会や自然や人間を見つめていると、必ずや句のヒントがありますから、見逃さないことなのです。頭の中でぐるぐると言葉が回っていますので、いかにその言葉を繋ぎ合わせるか、の日常の訓練が大切になります。
 句は必ず上達の階段を上っています。作り続ける努力と、五感を働かせる訓練が、川柳の奥行きを少しずつ広げてくれるのですから。

 

 

「こころのうた」2015年4月

 

 今何を考えているのか。何を詠いたいのか。その想いから一句は生まれてきます。雑念から離れて、川柳の頭に切り替え、心のつぶやきを聴き取るのです。そのひと時から想いが生まれ、日本語が語りかけてくれるのです。
 題材は幾らでも転がっているのです。心の扉を開くことによって、句は生まれてくるのです。句が出来ないではなく、作らないなのです。一句を生み出すことによって、その一句から発想を広げていくのです。
 「体内に笑みを咲かせて福寿草」「元気だせだせと微笑むクロッカス」「もう少し待ってと耐えてチューリップ」「五月には酔わせてあげる桜の芽」「春天に命がひらく垢をすて」などと、パソコンに向かいながら表を見て、句を生み出していけるのです。視点から発想へと、言葉から連想へと、心を開いていくのです。
 43年も川柳をやっているから、そんなことができるのだ、といわれるのですが、皆さんはやろうとしないだけなのです。やってみないからなのです。十七音は心から生まれ、心は十七音を紡ぎ出してくれるのですから。 

 

 

「ひらがなの活用」2015年3月

 

 一句を生み出すときに、どうしても漢字の使用頻度が高くなってしまいます。どうしてなのでしょうか。
 子どもたちは、ひらがなで表現します。それは漢字を余り知らないからで、素直に想いをひらがなに託しています。それでも心に響く作品となっているのです。
 大人たちは、頭の中ではひらがなで作っているのですが、文字で表現するときに、漢字に置き換えて作ってしまいます。それは漢字の意味性で読ませようとするためで、あえて視覚に訴え易い漢字を使用しようとするからだと思います。
 例えば「雪の嵩父母の遺影の物語」を「雪の嵩ふぼの遺影のものがたり」と表現したほうが、やわらかく、深味がまし、情感や余情がふくらまないでしょうか。
 漢字では読まなくても意味が通じますが、ひらがなだとよく読まなければ通じません。眼で読ませるのではなく、頭で読ませることが大切なのではと思います。
 安易に漢字を使うのではなく、いかにひらがなを上手く使用して、句の姿を整えるのかが重要だと思います。 

 

 

「上達への階段」2015年2月

 

 だれもが川柳を始めた時から、うまくなりたい、と思うのは当たり前だと思います。そのために、川柳誌を読み、句を作り、没句に悩み、素質がないのかと自問し、他人の句のうまさに感心してしまいます。
 さて、うまい句とは、誰が判断するのでしょうか。選者でしょうか、読者でしょうか、自分でしょうか。うまい句には、判定の基準はありません。それは、選者も読者も自分も、好みが異なるからです。万人がうまいという句は、無いのだと思います。
 それだからこそ、楽しみながら苦しむのだと考えています。一段ずつ階段を上りながら、日進月歩の中で一句の奥行きを思い、作品の価値を突き詰め、自分の評価基準を磨き上げていくしかない、のだと思います。句は必ず上達しているのです。
 句は心の言葉の遊びです。いかに日本語と対峙して、自分の心の言葉を紡ぎ出すかなのです。評価は後からついてくるものであり、自分の作品にいかに自信を持つか、なのだと思います。
 迷句の中から名句が生まれ、長い川柳人生とともに、うまい句は生まれてきます。そのように考えて階段を上り続けることが、川柳が好き、川柳人が好き、に結びついていくのだと確信しています。 

 

 

「一句の命」2015年1月

 

 作句する時に、時期と季節感を気にしているだろうか。
 明けましておめでとうございます。羊年が良き一年となることを、祈りたいと思います。
 分かる句、分かりづらい句、難解な句。それぞれの作者が、心の想いを自分の言葉と技量を駆使して描出する訳ですから、いろいろな句が生み出されるのは当たり前なのです。
 一句には、その作者の人生があり、生き様があるのです。喜怒哀楽をベースにして生み出される一句は、積み重なることによって、まさに人生史となるのです。そのために、苦しみ、楽しみながら作品を生み出し続けているのです。 自己満足と自認しながらも。
 自信作はできるか、なかなかできません。溜まった作品を句集にすることによって、一句に光が当たります。やはり纏めることが大切です。できるだけお金をかけないようにして、出版することが必要です。一句の命とは、読者の目に晒すことによって、価値が生まれるのだと思います。
 今年も一句を吐き出しながら、川柳を心の友として、命のある句と共に歩み続けましょう。