川柳の上達法 ㉛ 川柳の風土力

 

  1、風土を詠う

       その土地に生きている者として、自然条件や事象を背景として風土を詠うことは、ある意味におい

       ては土着した視点にたたなければならない。旅人の視点での作品では、上っ面の風土川柳にしか

       なりえないその土地に生きている者として、自然条件や事象を背景として風土を詠うことは、ある

       意味においては土着した視点にたたなければならない。旅人の視点での作品では、上っ面の風土

       川柳にしかなりえない。

 

      風土を詠うとは、何も特殊なものではない。人間は大地に根をおろして、その土地の自然条件の

      中で生き、闘って生活しているのであるから、その姿をありのままに活写すればいいのである。

      だが、大上段に風土川柳と銘を打って作句し、その姿を追い求めている川柳人はほとんどいない。

      僕は、昭和51年5月に稚内開発建設部に転勤となったのだが、その時に斎藤大雄さんから「稚内

      に行ったなら稚内でなければ詠えない題材があるはずだから、その題材を通して風土川柳を作り

      なさい」と言われた。そして8月から、そうや誌、さっぽろ誌へと作句に取り組んだ。

      宗谷川柳社には、「過疎」「離農」をテーマとして詠う、豊富の吉田操氏がいた。まさに北海道の風

      土川柳作家なのである。その刺激を受けたのも事実であり、挑戦できたのも操川柳のお陰なので

      ある。

 

2、風土川柳

     吉田操・川柳句集「過疎」より

       こころまで金で買われている離農

       太陽を信じて離農の哀しい目

       繁栄の捨て石として過疎の位置

       どう風が吹こうと過疎の情と住み

     兜沼郵便局に勤務し、離農と過疎を見つめながら、風土に根ざした人生を送り、風土川柳作家と

     して一生を終えた。

     岡崎守・川柳句文集「さいはて」より

       休漁のマスト烏が重たすぎ

       風ヒュルル真っ逆さまに冬宗谷

       貧港を流氷ギシギシ圧殺す

       カニ族が都会の垢を捨てて夏

     岡崎守・川柳句文集「北天」より

       煙突が死んでトンボの森となる

       母恋から地球岬へたどる愛

       鉄と泣き鉄と笑って鉄の街

       落日と眠る勇者よ絵鞆チャシ

     岡崎守・句文集「人間の風」より

       人情をあたためてます霧の街

       住み人となれるか幣舞橋の風

       霧の街から青空への手紙

       全身硬直いのち震度6

     岡崎守・一日一句「こころの日記」より

       新雪に一歩の命いっぽの死

       ズドンと桜 緞帳と冬の垢

       野っ原を返せと叫ぶキリギリス

       脳天の錆へ氷柱の五六本

     札幌から稚内で四年、室蘭で七年、釧路で単身二年、その地で生かされながら、風土川柳を意識

     して作句に取り組んだ。稚内の風土への想いが土台となり、必然的に体内から湧き上がってくるよ

     うになったのかもしれない。

     何処に生きていても、風土を意識した川柳は生まれる。それは変化する四季感とともに生き、大地

     に還る命を背負っているからである。四季と一体化することが、命の言葉となって吐き出され、風土

     川柳となって生まれてくる。

     道産子として生を受け、そして土となって人間の祭りを終える。その想いを一句に託すことによって、

     人生史となっていく。風土は、重たく深く、人間の心奥を抉り続ける。