川柳の上達法 ⑪雑詠の作り方

 

  1・雑詠(自由吟)とは

      雑詠の特徴として、題に拠らないという発想から、作家個人の価値観が作品に出てくる。作家の内面

    から発生する作品の発想は、題詠よりも文芸性が高い作品になり得る反面、逆に、題という制約が無い

         ため、多様な価値観を含んだ作品に対する選句は、選者の価値観が評価基準の中心となるため、句の

    上下を付けるという作業には適さないといえる。また、自らが主題を置いて作る連作や、日記的作品も

    雑詠の一部とみなすことができよう。川柳総合大辞典より引用。この説明のように、雑詠は拘束されるも

    のがないので、作者の自由な発想によって、想いを表現することができる。だが、自由という言葉の中に

    は、自分の身辺にある風景を、平板に描写するという甘えは許されてはいない。

      故大島洋氏は、「現代川柳において創作吟(雑詠)のポイントは作品中に作者のモチーフの存在が問

    われ、続いてリズム、スケール、比喩の使い方のテクニックの巧拙が評価の対象となる。即ち川柳作品

    の価値を産むものは、モチーフが前提なのである。」と指摘している。

 

      モチーフとは、表現の動機となった中心思想であるが、そこまで考えて作句している川柳人はどれだ

    けいるのだろうか。僕は昨年は一日一句を作ることを決意して、366句を生み出すことができた。

      しかし、その作品の中にいかに中心思想があるのか、と問われると自信はない。

 

  2・雑詠の作り方

      雑詠はどのようにして生み出されるのだろうか。僕はこのようなことを考えて作句している。

      ①   自然の中で生かされている人間を意識する。

      ②   風土の四季感を意識する。

      ③   事象をいかに自分の眼で切り取るかを意識する。

      ④   常に生老病死を意識する。

      ⑤   過去現在未来を意識する。

    今年も一日一句を続けているのだが、昨年の句と何か変化が生まれたのかと、苦しみながら楽しみに

     している。

        年頭の空よ一命への祈り      24年1月1日

        新雪に一歩の命いっぽの死    24年1月2日

        おどけてる孫と笑って福の神    24年1月3日

      雪おどる心の軌跡ゼロにして    24年1月4日

      神様が裏側にいて不思議な世  24年1月5日

       一年を開く一句よ天命よ      25年1月1日

       消息に哀楽が浮く年賀状     25年1月2日

       酒をため金をへらして三が日   25年1月3日

       初句会もえる一句と笑顔の輪   25年1月4日

       酒しみる五臓と語る雪ふわり   25年1月5日

      書斎の窓から景色を追いながら、雪道を歩きながら、句会の模様を、孫から元気を、年賀状から、

    などの人生模様を追いかけながら一句を生み出している。全くの独白であり、自己満足なのかもしれ

    ない。

      毎月の「あかしや集」に掲載する作品とは、違った気持で作句しているのに気がつく。柳誌への作品

    は、読者と全国を少しは意識して作句し、守の作家精神を描出しようと考えているからかもしれない。

      一日一句は、発表することを意識しないで作句しているので、気が楽でありありのままを詠えるのが

    いいのかもしれない。本来は余り構えることなく、本心をありのままに晒すことだとは思うのだが、どうし

    ても作家精神とはなどと気張るのかもしれない。両方の精神のうまい使い分けをすることが、多面的な

    作品を生み出す土台となるのであろう。雑詠とは、各人が多面的な色で一句を吐き出すことなのである。

 

  3・雑詠と個性

     雑詠だからこそ、各人が個性を発揮した作品を生み出すことができる。想いは千差万別であるから、

  他人を意識する必要はない、と思っている。

 

      とは言うものの、どれだけ個性を発揮している川柳人がいるのであろうか。個性のある作品を生み出

    すためには、何が必要なのであろうか。

    ①   発想ガすぐれている。

    ②   異質な表現力備えている

    ③   表現・創作の動機となる中心思想(モチーフ)を持っているか。 

    ④   作家精神を持続できるか。

    ⑤   プロ意識を持てるか。

     常に趣味か文芸かの狭間の中で作品を吐き出し、より一歩でも文芸性へと近付くために心血を注ぐ。

   川柳を職業としている訳ではないので、これらの要件を兼ね備えることは容易ではない。だが、少しでも

       近付きたいとの想いは抱き、各人が努力をして歩んでいるのである。

 

  4・個性を楽しむ

       常に光り輝く、個性にあふれた作品を吐き出し続けることは至難なので、一句でも多くの個性ある

     作品を、と思い続けることが大切だと考えている。平成二十四年札幌川柳社柳社賞を取り上げてみ

       よう。(各三作品)

     【 幌 都 賞  落合魯忠】   虚飾の残像 スカイツリーの孤独 

                        広告にデフォルメされた私生活

                        年輪に加速度つける冬景色

     【 ぽぷら賞  山口昭悦】   ネクタイに条件反射する背筋 

                        私の大河ドラマはまだ佳境

                       拝復と逢いに行きたいボールペン

     【あかしや賞  加藤かずこ】 モザイクの街で増えてる無性卵 

                                                 浄土への便りはやさしいぼたん雪

                                                 キャベツ剥ぐ男の本音聞きたくて

 

             魯忠作品への評

                    ・岡嘉彦「発想が広範囲で言葉を巧みに使っている。句にリズム感があり表現全体に工夫が

                      あり読んでいて引き込まれるものがある。」

                    ・熊谷美智子「最初から新人らしからぬ作品、並並ならぬ感性で着想がユニークである。」

      昭悦作品への評

         ・浪越靖政「自身の生きざまを淡々と詠っているが、川柳眼は鋭く表現力も卓越しており、時に

          はロマンチックな要素も交えて楽しませてくれた。」

         ・遠藤泰江「自分の位置基盤をしっかり句に反映してきた。」

      かずこ作品への評

         ・岡崎守「その一貫した作品は年齢的な衰えを見せることなく、多面的な川柳眼を土台として、

          多岐にわたる発想力によって創造性が豊かな作品を生み出している。」

      これらの評の中からの共通の言葉を拾ってみよう。発想、言葉、リズム感、感性、着想、川柳眼、

      ロマンチック、自分の位置基盤、多面的、発想力、創造性、などが評価の基準となっている。

 

 

  5・雑詠のおもしろさ

       なにも制約がないところから、自由な発想力で一句を生み出す、こんなおもしろいことはない。日々

     の心の移ろいを吐き出せばいいのであるから、誰に気兼ねをすることもない。しかし、雑詠といえども、

           同想の句は生み出される。それは仕方のないことなので、深く考えてはいけない。

             要するに、自分の心と言葉で、いかに自由に遊ぶかなのである。評価は気にしないで、自己満足を

           押し通すことなのである。その中から少しずつモチーフが生まれ、個性がうまれてくるのだと思っている。

           積み重ねがあってこその個性であり、それが雑詠の真髄なのである。 

             おもしろく、楽しく、この思いを描き続けることこそが、雑詠を作る喜びなのである。大いに日本語と

           楽しもう。